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東京高等裁判所 昭和33年(ツ)129号 判決

上告人 小林京

被上告人 柳沢せい子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由は末尾添付の上告理由書記載のとおりである。

第一点について

しかし、原判決は論旨摘録の事実を認定した上、所論の尊体寺北側の通路は、これにより被上告人方において辛うじて公路に通ずることができるけれども、被上告人所有の本件宅地利用の必要を充たすに十分な通路とは認め得ないとしたもので、右原審認定の事実によればその判断は正当であつて所論のように右通路の所有者尊体寺において被上告人の通行を黙認していること及び右通路により公路に至るまでの距離が本件係争部分による場合に比し僅かに四間ないし五間だけ遠いに過ぎないということから、必ずしも右原審の判断を不当とすることはできない。原審が公路に通ずるまでの右の程度の距離の差を重視して右の判断に至つたものでないことは判文上明らかであり、本件における如く一応通行可能な経路が公路に通じている場合でも、それが土地の用法に従う利用の必要を充たすに足りないときには右土地を民法に規定する袋地として囲繞地を通行する権利を認める妨げとならないものと解すべきであるから、原審が本件の被上告人所有地を袋地と認めたのは相当であつて原判決には所論の違法はなく論旨は理由がない。

第二点について

記録によれば、上告人が原審で援用した第一審証人秋山賢蔵の証言中に論旨摘録のような部分のあることが明らかであり、原審が所論の事実認定にあたり同証人の証言に触れるところのないことも上告人主張のとおりである。しかし原審は右秋山証人の証言中前記原審の認定と異る趣旨の部分は右認定に供した各証拠に照らし措信し得ないものとして採用しなかつたと解されるのであり、その説明が意をつくさない感がない訳でもないが、これをもつて理由の説示に違法があるというに足らず、かつ右秋山証人の証言を採用しなかつたのは原審の専権に属する証拠の取捨の範囲に属し、所論の違法はない。

第三点について

民法第二百十三条は、土地の分割もしくは一部の譲渡の如き土地所有者の任意の行為により袋地を生じた場合、これによつて隣接地所有者に同法第二百十条により土地の通行を受忍すべき義務を負わしめるのは相当でないことを考慮し、この場合には譲渡契約の相手方もしくは他の分割者の所有土地のみを通行することができ、第三者の所有土地に通行権を認めないこととしたものであるが、右規定による被通行地所有者の義務も民法第二百十条による受忍義務と同様に相隣関係から生ずるところの土地に附着する一種の負担であつて被通行地の所有権を譲受けた者においてこれを承継するものと解するのが相当である。

もつとも民法第二百十三条には通行権者は償金を支払うを要しないとされているから、前記のように解するときは、右規定による通行権のあることを知らずに被通行地の所有権を取得した者に損失を及ぼすことも考えられないではないけれども、右承継人は買受の際隣地との関係につき調査をすればこれを知り得べきものであり、土地の価格もその負担の存在に応じ減ぜられている筈であるから、右の点をとらえて前記結論を左右すべきものとも考えられない。むしろ右のように解しない場合、被通行地の処分により前記規定による隣接地所有者の保護は容易に失われる結果をもたらすこととなるのであるが、承継人の利益のため右第三者の保護を失わしめるのは妥当でないと考えられる。

なお、民法に規定する袋地、囲繞地の関係を生ずるのは、所論のように民法第二百十三条に規定する土地の分割もしくは一部譲渡による以外に考えられないものではなく、また分割もしくは一部譲渡によつて袋地、囲繞地の関係の生じた場合でも、訴訟上右の関係が証明され得ないときは民法第二百十条の適用を見るのであるから、前記のように民法第二百十三条の規定が被通行地の承継人についても適用されると解しても、所論のように民法第二百十条第一項の規定が適用の余地がなくなるとはいえない。論旨は理由がない。

第四点について

しかし、原判決は所論の通路の巾のみによつて論旨摘録の判断をしたものでないことは判文上明らかであるから、右通路の巾と本件係争部分の巾の差が〇、三尺に過ぎないにしても、上告人主張の如く原判決の判断に論理の矛盾があるとはいえない。

次に上告人は原判決がなんらの証拠によらず尊体寺北側の通路が脆弱であるとの認定をしている旨非難する。原審は主としてその検証の結果によつて右の認定をしたものと考えられるが、記録中の検証調書(原審検証調書に引用された第一審検証調書)のみでは必ずしもその点が十分に明らかであるとはいえない。しかし原判決挙示の第一審証人磯貝鏡従、原審証人柳沢貢の各証人尋問調書によれば、右の通路は尊体寺墓地と側溝にはさまれた露地で溝の泥をあげたり、ごみを捨てたりなどされていたというのであつて、かような点をも考慮すれば前記原審の認定も全く根拠なくしてなされたものとは断じ難い。もつとも原審の認定は単に通路が脆弱というのみで、それがどの程度に通行の障害となるかは必ずしも明らかでないけれども、原審は右通路が脆弱であるというだけで被上告人所有宅地の利用の必要を充たさないと断じたのではなく(右の程度に脆弱であるということについては記録上これを肯認するに足る証拠がないとすべきであろう)これをも一つの理由として右の判断に到達したに過ぎないことは判文上明らかであり、原審のいわゆる「脆弱」であるとの認定が右の程度のものを意味するとすれば既に述べたように証拠上なんらの根拠なくしてなされたものといえないのである。従つて結局所論の点に関する原審の認定には原判決破棄の理由となるべき違法はないというべきである。

よつて本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四百一条、第九十五条、第八十九条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 梶村敏樹 室伏壮一郎 安岡満彦)

上告理由書

第一点原判決はその理由に於て「本件土地の東方及び西方はいずれも他人の所有地に隣接し、南方も亦尊体寺所有地に隣接しているが、右尊体寺所有地の北側には幅員約二、五尺の東西に通ずる通路があり、右通路の西端は行きずまりとなつているが、東端は本件土地の東南端から約一〇〇尺の距離を隔てて琢美小学校の西北側公道に通じていること、しかし乍ら右通路はその北側が側溝にして南側は竹垣根で尊体寺墓地と仕切られており、一かろうじて人が歩行できる程度の狭隘且つ脆弱の通路にして、わずかにその附近に居住する婦女子が右琢美小学校方面へ急用の際又は通学の際便宜上通行使用しているに過ぎなく、もとより尊体寺との間に権利関係の設定もなく、公衆の自由に通行し得るような通路でないこと、而して本件土地の北側は前記四六番の一の土地を隔てて国道八号線に面しており、本件土地の北西端から右公道までは七一、七尺の距離にして、控訴人が右公道に出るには四六番の一の土地を通るのが最も便利であつて、若し前記尊体寺の通路を通ることになれば甚しく迂回することになり、到底日常生活の利便に堪え得ないこと。

そのため控訴人は本件土地を譲受けた後、右公道に出るため、前記山村又は秋山の所有していた四六番の一の土地内を自由に通行してきたし、被控訴人が右土地を買受けて昭和二十五年十月頃地上に建物を建設した後も、右建物の西側に存する別紙目録記載の通路(もつとも本件土地の北西端から北へ約二五、三尺の間は西側隣地との境の板塀で仕切られているが、そのさき公道に至るまでは幅員六、七尺の通路となつている)を、昭和三十一年二月頃被控訴人方で右通路入口に柵を設けるまで自由に通行してきたことが認められ、原審及び当審証人小林佳一の証言並に原審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は前記挙示の各証拠に比べてにわかに措信できないし、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

前記認定の事実によれば、本件土地には、尊体寺において通行を黙認している通路があり、これにより控訴人は辛うじて公路に通ずることができるけれども、右通路は控訴人の本件宅地利用に必要にして且つ充分な通路とは到底認め難く、右通路あるが故に本件土地を袋地と断定する妨げにはならかい。」と判断し、本件係争土地甲府市上一条町四六番の二は袋地なりとの前提の下に民法第二一三条を適用している。

然しながら上告人(被控訴人)所有の四六番の一は表道路に面する部分間口一八、八尺奥行七一、七尺であつて、被上告人(控訴人)所有の四六番の二は右土地の南側に在つて間口一八、八尺奥行一一一、二尺である、而して控訴人が被控訴人所有の土地を通つて公道に出るのには本件土地(注四六番の二)の北西端から七一、七尺の距離があり、同じく本件土地の南東端から公道に出るのには一〇〇尺の距離がある。即ち被控訴人の右土地を通つて公道に出るとの差は僅かに四、五間であり、被上告人(控訴人)が右尊体寺の通路を引続き通行使用することは、尊体寺も承認している。

右事実は原審に於て被控訴人が主張し控訴人も之を認めておることは原審判決に於て明かである。(原判決事実及理由参照)

かく上一条町四六番の二の土地に対し前述の様な通路がある場合には右土地は民法に所謂袋地と認定すべきものでないのに拘らず、原判決は之を袋地なりと判断したのは法律の適用を誤つたものと云うべく、原判決はこの点に於て破毀さるべきものと思料する。

第二点原判決はその理由に於て「原審証人山村文吉、同川崎行道、同柳泉、同末木良三、同矢崎友紀、同牧野辰夫、同磯貝鏡従、当審証人小林吉徳、同柳沢寅の各証言、原審及当審における検証の結果を綜合すると「……控訴人は本件土地を譲受けた処右公道に出るため前記山村又は秋山の所有していた四六番の一の土地内を自由に通行使用して来たし……云々自由に通行して来たことが認められ原審及当審証人小林佳一並に原審及当審における被控訴人本人尋問中右認定に反する部分は……にわかに措信出来ない」として四六番の二の本件土地を袋地なりと断定している。

上告人は第一審に於て証人秋山賢蔵の供述を援用し第二審に於ても同証人の供述を援用しているが同証人の供述に依れば

「私は山村から買つた敷地((注)上一条町四六番の一)の範囲はこの図面で云つて〈2〉から南に引いた線と〈3〉から南に引いた線の範囲でその敷地の範囲一杯に建物が建つていました。

その建物の入口は西側から約一間東の所から東一間巾の玄関があり玄関を入ると東側に座敷が三つ西側は下駄箱や二階にあがる約四尺巾の階段がありまして、その間に玄関から南に玄関の巾で土間が南に続いておりました。

勿論玄関には錠のある三尺づつ二枚の横戸がついておりました」云々とあり即ち昭和二十年七月戦災に依り、家屋が焼失する以前には右敷地一杯に家が建つており右家屋内を通過する以外に右敷地(上告人現在所有土地)を通行することは不可能であつたことが明瞭である。

然るに原判決は被控訴人が証拠として援用した右証言を援用することも無く又措信し難しと為して之を排斥することもなさずして「控訴人は本件土地を譲受けた後……秋山の所有していた四六番の一の土地内を自由に通行使用してきたし……」と判断をなし、以つて本件土地を袋地なりと認定したのはこの点を立証する為め控訴人が援用した同証言を原判決は無視し且抹殺したものであり証拠採用につき著しき違法ありこの点よりするも原判決は破毀せらるべきものと思料する。

第三点原判決は「控訴人所有の本件土地が袋地となつたのは、もと訴外山村文吉がその所有に属する四六番の宅地一〇一坪五合五勺の一部を任意に分筆の上控訴人に譲渡したため生じたものであることは、……明かなところ、このように土地所有者の任意行為に基因して袋地が生じたときには民法第二百十三条の規定に依り袋地所有者は他の分割者又は譲渡人の所有地のみを通行することを得べく、又この場合においては袋地を生ずることは、予め分割者又は譲渡人の予見しえたところであるから被通行地所有者は償金を請求することを得ないこととしたものであつて被通行地の特定承継人も亦隣地との関係を調査すれば該土地につき通行権の負担をうくるものかどうか容易に知りうるところであるから該土地に附着する一種の負担として袋地所有者の通行を忍容する義務を前主より承継するものと解し該規定はこの場合にも適用があると解するを相当とする」として上告人を敗訴せしめている。

然れども原審の右の判断は民法第二一三条の解釈を誤つた違法がある。

同条は、直接の分割者の間又は一部譲渡の当事者間にのみ適用があるものである。何となれば民法の相隣関係として所謂袋地所有者のため囲繞地たる他人の土地を通行する権利を認めたのは袋地の利用価値を高め一般社会的利益を保持するためではあるが一方袋地のため通行権を容認すべき囲繞地は之に因つて損害を被ることとなるので民法第二一一条は通行の場所方法に付規定し出来る丈損害のすくなくなることに努むると共に第二一条に於てその損害に対する償金を支払ふべき旨規定した所以である。唯民法第二一三条が分割若しくは一部譲渡に因り生じた袋地に在つては償金を要せずとするのは当事者の行為に基因して生じた同条の場合は当事者の初より予期せるところであるのでその不便は専ら当事者相互間に於て救済するのを相当とし仍つて分割又は譲渡せられる他方の土地のみに付通行権を認め累を他の隣地所有者に及ぼさざると共に償金の支払を要せざることとしたもので右規定は直接の当事者にのみ適用あるものと解すべきで、被通行地の特定承継人に対しては従前の無償通行権をもつて対抗し得ないものと云ふべきである。(昭和十二年(民七)二六六号朝鮮高等法院判決参照)抑々或る土地が袋地囲繞地の関係を生ずるのは。民法第二一三条に規定するように分割若しくは一部譲渡による以外には考えられない。

然るに原審のように民法第二一三条は、被通行地の特定承継人にも当然適用されると解するならば民法第二一〇条第一項の有償通行権の規定は殆んど適用の余地がなくなり規定の存在意義が失はれてしまうであろう、即ち原審は法律の解釈を誤り漫然民法第二一三条を適用したのは民事訴訟法第三九四条に所謂「判決に影響を及ぼすこと明かなる法令の違反ある」場合にあたるもので原審判決は破毀さるべきものと信ずる。

第四点原判決は上一条町四六番の二所在本件土地が袋地なる判断を為す根拠としてその判決理由に「右尊体寺所有地の北側には幅員約二、五尺の東西に通ずる通路があり……東端は本件土地の東南端から約一〇〇尺の距離を隔てて……公道に通じている……」ことを認めながら「右通路はその北側が側溝にして南側は竹垣で尊体寺墓地と仕切られており、かろうじて人が歩行できる程度の狭隘且つ脆弱の通路にして……云々」と論じておる。

原判決に於て被上告人に対し通行権を有することを確認した通路はその主文及目録記載の如く二、八尺であり、尊体寺側通路は原判決認定の如く二、五尺でありその差僅かに〇、三尺であるに拘らず一は「かろうじて人が通行出来る程度の狭隘であり」又一は通行権を設定するに足る幅員なりと為すのか〇、三尺につきかかる論理の矛盾を冒しておるのである、且つ原判決は右尊体寺通路は「狭隘且脆弱の通路にして……云々」と認定しているが右判決援用の証拠には「右尊体寺側通路が脆弱である」ことを認定するに足る何等の根拠なく、従つて原判決は証拠に基づかずして判断したる違法がありこの点よりしても破毀を免れない。

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